結婚相談所のエピソード

婚活を成就させる、私の結婚相談所のエピソード


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結婚相談所のエピソードといえば、結婚願望派は「三高」(高収入、高学歴、高身長)は必要条件と叫び、

その一方のエピソードでは結婚幻想を捨てはじめた「結婚しないかもしれない症候群」が現われるなど、あおりたてているかのようだ。


結婚相談所の新聞紙上では「出世率低下ー戦後最低」「晩婚化傾向ー実質世界」のエピソードのスポットがあてられ、

結婚相談所難が深刻な社会問題になりつつあることを多くの読者に訴えている。


そんな風潮が続くなか、われわれ二人の男たちによる一年近くにわたる結婚相談所の取材と検証の結果のエピソードが世に出ることになった。


今回は、「結婚難」をめぐる男たちの今を、手さぐりで掘り下げていった結婚相談所のエピソードである。


われわれの試みは「こうすれば結婚難を解決できますよ」の結婚相談所のエピソードをめざしたものではないし、

「結婚という制度に否を叩きつけよう」のエピソードをおくろうというものでもない。


それより「なぜ、今、男の結婚難が問題なのか?」なる結婚相談所の疑問を解きほぐしてゆくことに視点を据えた。


そして噴出したさまざまな現象や言説の背屈や根拠を明らかにしてゆく、

これがわれわれ二人の姿勢である。


では、なにがきっかけでこの間題に取り組みはじめたのか?

最初にわれわれの目をひきつけたのは、「殷村青年による嫁こいトラククー・デモ」だった。

この一見奇抜なパフォーマンスとエピソードは、好奇心を刺激するのに十分なものがあった。
「彼らはなぜあんな行動に出たのだろう?」「家業の嫁不足はここまで深刻なものなのか?」。
われわれは当初、青年たちの心意気と行動力に注目し、彼らの想いと都会女性を隔てる壁に興味をもった。

同時に、地元を捨てて都会に流れてゆく女たちや、「農業なんて……」と冷たい視線を投げる都会の女たちにいきどおりすら感じたものである。
しかし、結婚相談所の取材を重ねるうちに、結婚難という現象を通して農業そのものが抱えている構造的な問題につきあたった。
そして、それは結婚相談所だけの問題ではなかった。

工業、商業、さらにはサラリーマン社会で男たちが抱える問題、あるいは暗礁に乗り上げている問題が、やがて少しずつ明らかになっていった。

一方、都会を中心に「お見合い産業」なるものがたいへんな隆盛ぶりを見せている。
「花婿学校」をはじめ、各種の講座やイベントも盛んだ。

テレビの人気番組などでは、集団見合い(交際)風の企画も珍しくない。

そこでいえることは、ともかく多くの人びとが「交際したがっている」し、「結婚したがっている」事実である。
それらにまつわる惜報量だけをとってみても、男たちも女たちもホットになっていることは確かなようだ。

にもかかわらず、男と女を隔てるえたいの知れない"壁“は厚い。
それは、お見合い産業のパーティーの場面一つとっても、痛いほど感じざるをえない。

一体なにが 「欠落」しているのだろうか?あるいはなにが「過剰」なのだろうか?
その昔、「男は男らしく、黙って構えていれば嫁さんがくる」といわれていた。
「そろそろ所帯をもって、身を固めて」などと周囲からお膳立てをしてもらえばよかったのである。
「独身生活もなにかと不便、嫁さんもらって楽になる」なんて勝手な言いぐさも通用した。
今でも、結婚をしたがっている男たちの多くはこういう。
「家に掃ったら明かりがついていて、嫁さんが温かいタ食を作って待っていてほしい」と。


女たちにも、適齢期なるものがあった。
適齢期を過ぎると「売れ残り」だの「オールドミセス」などとレッテルを貼られた。
今、結婚相談所で結婚を望む女たちの多くはこういうエピソードを残す。
「優しくて、思いやりがあって、頼りがいのある人」
「生活力があるのは当然。
今の生活水準を落とすのは絶対にイヤ」と。

もちろん、男も女もそんな考えの人ばかりではない。
少なくともこの二十年間で、価値観もライフスタイルも多様化したことは否定できない。
しかし取材を経て改めて感じたのは、都市であれ村であれ、本質のところは想像以上に変わっていない、ということなのだ。


「こんな豊かな時代に、愛さえあればなんてことを説くのはアナログだ」ともいえるだろう。
「男と女のイイ関係をつくっている人はたくさんいる。
要は個人と個人の問題よ」も正論である。
だとすれば、たかだかわずかな数字の差で驚いたり嘆いたりしてもはじまらないという気もする。
それぞれ勝手に考えて、勝手にすればいい。
……われわれも何度となくそう思った。

イビツな構図はいやが応でもはっきりしてくる。
ある種のイメージだけがひとり歩きそのイメージに振りまわされてゆくさまをみるにつけ、

「ちょっと待ってくれよ」と、結婚相談所のエピソードに関しての執筆意欲がかきたてられた。

ここで少し、筆者二人の世代についても触れておきたい。

ある雑誌の命名によれば、われわれは「谷間の世代」と呼ばれているらしい。

詳しくは本章でも触れるが、早い話が人口曲線が谷間(その前の山がいわゆるあまり注目もされない地味な世代というわけだ。団塊の世代)に位置しているために、

なにもわれわれの世代の道筋の果てが"結婚難“の問題に行きあたるわけでもないのだが、

巷にあふれる上と下の世代の、この問題に関する困物やエピソードを読むにつけ、

「結婚相談所はそうスッパリと割り切れるもんじゃないぜ」といいたくなることが何度となくあった。

その想いがこの本を完成させた原動力ではないかと自負している。

歯がゆさもあったことを強調しておきたい。

われわれは、男と女のあり方に限らず、既成概念に対して新しい価値観を作りだしてゆく方法を、
上のふくれあがった世代の疾走から学んできたように思う。
ある時は「落ち穂ひろい」風に、またある時はワンクッションおいてかみくだきながら、

自分たちのスクイルを作ってきたつもりであった。
ところが今となって改めて見回してみると、上の世代へのコンプレックス、
下の世代へのやっかみと、妙に老成化した姿ばかりが目についてしまう。

既婚者も独身者も(こと同性である男たちはとくに)世問的風潮なるものにベたりと寄り添ってしまっているのだ。

こうなってくると「オジサン改造講座」やら「ハシでつままれるパンツ」の道も遠からずといったところだが、

ここでわれわれが、"谷問の世代“ならではの観察眼と問題意識を投げかけなくては……と、

ドン・キホーテ的心情 でこの問題へ果敢にチャレンジしてみたというわけである。

考えてみれば、結婚事情とはまた困難なテーマに挑んでしまったものだと後悔しないでもない。

そもそも数字的な割り切りで答えが見いだせるものではないし、個人の意識変革だけで希望の灯がみえてくるものでもないからだ。

約一年にわたる結婚相談所の取材の過程でも、この問題はあとからあとからメディアを賑わせた。
とったものが色あせたり、根本的再検討を余像なくさせられたこともあった。

ともあれ、この結婚をめぐるイビッな状況になにかしらのクエスチョンを感じている多くの男たち、できれば幸いと思う。
結婚相談所に通う女たちに、この試行錯誤のプロセスのなかからみえてきたものを伝えることができれば幸いと思う。

結婚相談所産業の光と陰

●“出会いの場“つくり?四百人のクリスマス・パーティー

めかしこんだ独身男女約四百人が集まった。

今宵は、結婚相談所産業の大手恒例のクリスマス・パーティーである。
このパーティーに限らず多くのお見合い産業では"出会いの場“づくりとしておなじみのイベントだ。

この夜のような大規模なものはまれであるが、クリスマスに忘年会も兼ねた意味もあって、集大成ともいうべきビッグイベントとなった。
今から二時間余、はたして"理想の相手“は見いだせるか否か、というわけで会場には一種独特の熱気と緊張感がみなぎっている。

午後六時三十分、民放アナウンサーの手慣れた司会で開会が宜言され、所長がエピソードを語る。

「人生は積極的に自分のほうから果敢に突き進んでいかなければ、幸運は自分の手にできないのであります。

どうか皆さん、積極的にトライして悔いのない青春を送っていただきたい」シーンと静まりかえった会場。
なにやら校長先生の訓辞のように聞こえなくもない。

続いて、「すばらしいパートナーを得られますよう、乾杯!」パーティーは立食形式。
参加の男女は、とりあえず飲んで食べてということで各々両サイドのテープルから料理やアルコール類を手に、

定点(二十人ほどで―つのテーブルを囲むようになっている)に戻る。

早くもチラホラとめざす相手を品定め する視線がスパーク。
しかし大方は、食べるほうに忙しい。やがて、頃合いをみて司会者より、二万組目のカップル表彰が告げられた。
結婚相談所の創立以来の晴れて記念すべき二万組目のカップルとして結婚した二人を呼んで、ここで披露しようというわけだ。

二人の知り合ったきっかけはこの種のパーティー。
二次会へ誘い、以降四回のデートにしてプロホーズをしたといったいきさつが、司会者とのやりとりで明らかにされる。
そして会場の男女へのアドバイスをうながされて「男の人は積極的にいくことですね。
ぼくの経験からも、これが第一です」と彼か、『私、ジュースが飲みたいの』とか、ともかくきっかけづくりですね」と。

結婚相談所の受験生を前にして受験勉強のエピソードを説く先輩代表とみえなくもないが、この二万組という数字、なにかとてつもない実感をもって迫ってくる。

続いて、パーティーでは定番の感もあるビンゴゲーム。
さすがにお見合い産業だけあって、即席のカップルを作らせて二人で一喜一憂してもらおうという演出だ。

「男性の皆さん。
さぁ積極的にカップルを作ってくださいね」とさかんにあおるや、男女の波がザワザワと動きはじめた。


結婚相談所で掴む、理想のパートナーへの一歩は踏みだされたかにみえたが……。

お見合いを斡旋する公の結婚相談所や民間の仲人業がなかったわけではない。

そこへ登場したのが、先駆けとするコンピューク相性システムという新しいスタイルであった。

ここで、業界の老舗とされる結婚相談所の沿革をみながら、その急成長の根拠を探ってみたし、

結婚相談所の発祥の地は西ドイツ(当時)である。

会員の年齢、身長、職業、学歴、生活信条、性格、趣味、結婚観……といった数々のデータをコンピューターに入力して相性の合致する組み合わせを探る方式は、

今も同会学術最高顧問として名を連ねるハンス・ユンゲンス教授が編みだした。

結婚相談所の教授は、西独・キール大学で教鞭をとる一方、西独人口問題研究所の所長を務め、システムの原点ともいえる パートナー・マッチングフログラムのエピソードを残した。

コンビューターを駆使して人格を外的条件から内面にいたるまで徹底して細分化することで、

科学的に相性を叩きだすこのシステムは、お見合い産業の求めていたものと合致することになった。

この西独方式が日本的士棋に根づいた根拠として、ユンゲンス教授は、「両民族とも冷静さに特徴がある。
教育熱心で甜学歴者が多い。
勤勉で実直。工業化が急速に進み、人口が都市に集中」といった点を挙げている。

結婚相談所の同システムの日本上陸が七三年十二月。
お見合い産業のニュー・スクイルとして営業を開始したのが七七年十一月。
営業開始から十二年余、八九年十一月_日現在で婚約・結婚が成立した。
カップルは二万九百十三組。
広報によれば、成婚率三〇パーセントの成果を挙げているという。